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なぜ留学に行くのか!?目的を決める

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HELLO!ゆいぴーです。

今回は自己紹介も兼ねて、私がなぜ2019年NZに中期留学したか、カナダにワーホリに行くかをお伝えします。

 

・留学とワーホリの目的の違い

 人が留学を決心するとき何らかの理由が必ずある。それは英語力向上かもしれないし、専門知識を学ぶため、あるいは海外で暮らしてみたいという憧れかもしれない。そこに100人の留学を決めた人がいるのなら、少なくともそれぞれの50の理由はあるだろう。

 私は2019年にNZへ4か月、そして2020年の4月からカナダへワーキングホリデーを予定している。2回の留学、それぞれ出発前に目標を定めるが、その目的はそれぞれ異なる。

〈NZ留学の目標〉
・留学という夢を叶えるため
・英語を話せるようになるため

 この二つの理由のために、大学のプログラムを使って、4ヶ月NZで勉強した。
しかし、2020年4月からカナダのワーホリを決意した理由は少し異なる。

〈カナダワーホリの目標〉
・いろんな人に出会うため
・海外から日本を見るため

 英語という言語に関する理由から、人との繋がりに関する理由へと変化した。その変化の過程を考えてみようかな。

 

・NZ留学の理由

・留学という夢を叶えるため
・英語を話せるようになるため

 1つ目の理由、「留学という夢を叶えるため」これは留学に行く人の大半が抱いている夢だろう。私も例に漏れず、中学2年生の時から留学をしたいと思っていたが、部活に力を入れていて一度も留学に行けなかった。大学生になっても充実した部活、最高の仲間に囲まれ、留学のことなど頭の隅にも置かずに、知らぬ間に大学1年の11月を迎えていた。自分の本来の気持ちを思い出したのは留学申し込み期限ギリギリ。このままの楽しい日常を続けるか、異国の地で挑戦するか。

 一度きりの人生。自分が本当にしたいことを在学中にしようという決心が留学に行くことへと背中を押した。留学のことを考え始めてから2週間、あれよあれよという間に話は進み、エージェントへ依頼、大学の教務部への申請、チームメイトへの報告…。約一か月後にはほとんどの手続きが完了。外国へ行くことはもっと大変なことかと思っていたが、意外と簡単で体感的に “It’s a small world” を感じた瞬間だった。
(“It’s a small world”とは…人の行き来、情報の共有が全世界を通じて早く簡単になったため、実際の距離、大きさより世界が小さく感じられること)

 2019年3月31日。いざ、関空を出発。正直、NZで4か月やっていけるかという不安に駆られたというのは紛れもない事実ではあるが、実際飛行機に乗ってしまうと何の不安も心配も感じないものだ。ただ、もう日本にはいないという事実だけを脳内で再処理するだけ。しかしそんな自分にもたった一つだけ、飛行機の中で腹を壊し、何度もトイレに駆け込んだという不安だけは確実にあったのだが。

 NZに到着し、その国の空気を吸う。世界は地球という球体で一つに繋がっているのを知っているのに。しかし明らかに違うにおい。嗅覚だけでは感じることのできない、全身で感じる雰囲気。ここで自分は過ごすんだ。高揚した気分を押さえられずにいた自分を冷静にしてくれたのは、少しも理解できない英語だった。

“Can you show me your passport and VISA?”

…え?
ななななんて?少し口も空いていたと思う。

“キャン ユー ショウ ミー ユア パスポート アンド ビザ?”

あ~パスポートとビザね。はいどうぞ。

 今なら確実に聞き取れるし理解もできる。ましてや当時でもそのくらいの英語を理解できる英語力を持っていたはずだ。リスニング教材で聞けていたはずの英語すら理解できない。現地ではこういう速さで、こういうジェスチャーで、こういうアクセントで話すんだ!驚きと発見、楽しさでいっぱいだった。そしてこれが、飛行機を出てから初めて触れた英語だった。(普通はそうか。)

 この時点で2つ目の目標、「英語を話せるようになる」
これが結構心に来た。自分の英語力は現地に来るとこんなに稚拙なものなのか。実際、当時の英語力は現地の3歳児程度もなかった。簡単な質問に答えるのも英語を頭で日本語に分解し、理解してからまた回答の日本語を分解し、英語に組み立てる。20秒くらいで一つの質問に答えていたんじゃないだろうか。

 結論から言うと、こんな自分でも4か月何とか外国で無事に暮らすことができた。細かいことを言うと、色々あって苦労もしたけど、生きてこれた。それだけが自分の自信に繋がった。

このNZ留学を通して、当時の目標

・留学という夢を叶えるため
・英語を話せるようになるため

 この二つは達成できた。というより、留学に行くということは飛行機に乗った時点で達成されたわけだし、英語なんて言うものは、話せなくても友だちはたくさんできるし、充実した毎日を過ごせることが身をもって分かった。(もちろん、話せた方が良いなんてことはわかってる)
実際、英語がどれだけ話せるか、よりも、どれだけ伝えられるか、ということの方が大事なことなのだ。例えば、どれだけキレイな発音で、完璧な文法で、難しい単語を使って話せても、声が小っちゃかったり、コミュニケーション能力が低かったりすれば、伝わるものも伝わらない。反対に、超絶簡単な英単語しかわからなくて文法が多少崩れていても、笑顔でどんどん話していれば友だちの輪は広がるし、そうしているうちに勝手に英語力は伸びていく。

・カナダワーホリの理由

・いろんな人に出会うため
・海外から日本を見るため

 NZ留学では本当にたくさんの初体験、トキメキ、発見があった。
「いろんな人に出会うため」この理由もNZ留学を通してできた、人生の目標だ。

 まず、“色んな人”という言葉の定義を明らかにすると、外国人、はもちろんのこと、ここでは海外に暮らす日本人も色んな人に当てはまる。
外国人は、もちろん自分とは違う環境で今まで生まれ育ってきて、自分と違う価値観、考え方を持っている。そこでの話はとても興味深いし、多角的な視点を得る最高のチャンスだ。

 それでは、なぜ海外に暮らす日本人も自分が出会いたい人なのかというと、同じような環境で育ち、教育を受けてきて、「なぜあなたはここにいるのか」ということがとても気になるからだ。そういう人たちは、だいたい面白い経験を持っているし、勉強ができるできない関係なしに賢い。話していて興味が湧いてくる。

 実際、海外で出会う日本人は安定職を手放してまで移住する人もいたし、周りの友達が日本の大学へ進学するのを横目に海外大へ挑戦している人もいた。自分が高校生の時は、海外大へ進学するという選択肢さえ知らなくて、少しでも賢い大学へ、興味あるものに近い大学へ、という周りと同じような考え方を、学校という名の牢獄で叩き込まれてきた。その結果、もう少しで普通の大学生、普遍的な人生を歩むとこだった。それを止めてくれた人、知識を与えてくれた人が、海外で出会った日本人だったのだ。

 そして、そのような環境で過ごしていると、良いのか悪いのか、なんでも日本と比較して見てしまう。そこでは日本が優れているところ、日本が劣っているところ、をたくさん発見できる。

 例えば、日本では差別やセクハラの感じた方等、他国から見ると、かなり遅れていると言われる。それは論文やインターネットだけでの机上の問題かと思っていたら大違いで、それらは日常的に起こっているものの、人々は声を上げて人権を主張している。ほかにも、身近な例でいうと、フードコートで食べ終わると日本人は自分で食器を戻したり捨てたり、机を拭いたりしているが、NZでは食べ終わったものは机に放置したまま、政争の人が掃除してくれる。それが良いのか悪いのかは正直わからないが、自分の中の常識や考え方が広がるのは間違いない。そしてそれは面白いし興味深い。

 このように海外から日本を見てみると、面白い。海外の人が日本に抱くイメージを聞いてみると、買い物でのビニール袋や、水道水の無駄遣いが目に付くようだ。それらの違いは、それぞれの文化や国民性の違いなのだが、それを知ることも、また興味深い。

 書いているうちにとんでもなく長くなってしまったが、このようにたった一か国に、たった一回留学に行っただけでも、たくさんの発見がある。この自分にとっての『新しい』を見つけるために、私は今日も海外へ赴く。

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